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好きという感情
深夜に再放送で流れた白黒の無声映画
1920年代という
狂騒の時代背景の中で
若者が明るく奮闘する群像劇
君は二人がけの赤いソファに座って
レモンを浮かべたホットワインを飲みながら
静かに画面を見つめていた
15分くらい経った頃だろうか
君は消え入るような声で
この映画が好き
と言葉を漏らした
僕はある種の違和感を感じ
特に答えることはしなかった
僕は知っている
この映画は何とも言えない
悲劇的な結末を迎えることを
君のスマホは何かを受信したようで
さっきから赤い光が点滅している
でも君は目もくれない
映画は終盤となった
若者が全てを失って絶望する様を
大人たちが冷笑して幕を閉じる
やっぱりこの結末は後味が悪い
映画が終わっても
しばらく君は無言だった
そして
やっぱりこの映画が好き
と言った
僕は驚いた
この映画のどこが好きなの?
なんて野暮な質問はできなかった
音もない 色もない
そんな世界で
君は好きと言ったのだ
論理的に整理しようとしている自分が
馬鹿らしくなった
きっと好きという感情に
要素なんてないんだ
気が付くと
僕のホットワインは
一口も飲まないまま
冷めていた
無意味な思考が宙を舞う
ファンデーション
東京駅の八重洲口21時ちょうど発の
大阪行き深夜バスに乗り込む
席は指定席で
トイレの目の前
ちゃんと確認すればよかった
駅弁というには
ひどくお粗末で
鮭のおにぎりと緑茶のペットボトルを
鞄から取り出す
でも食べる気がしない
喪服はクリーニング代が高いから
シワにならないよう
丁寧にジャケットを畳んで
隣の空いている席に置く
この世の中から
一人の人間がいなくなっても
地球の自転は変わらない
いくらたくさんの悲しむ人間がいても
昨日と同じように
機械的に朝日は昇る
でも
さっき落としたファンデーションは
粉々になって壊れていた
たった一回落としただけなのに
もう元には戻らない
赤い屋根の家
欅の並木道を一本入ったところに
赤い屋根の家があった
庭もきちんと手入れがされていて
この季節には薔薇のにおいが鼻をかすめた
その家は
年老いたおばあちゃんがひとりで住んでいる
おばあちゃんは占いが得意で
小さい頃はよく遊びに行った
いつも笑っていて優しくて
帰りにいつも黄色い包み紙の飴をくれた
今日会社の近くのスーパーで
あの黄色い包み紙の飴を見つけた
あの赤い屋根の家はもう今はない
いつも空車のコインパーキングになっている
だけど駐車場の一角に花壇が設けられていて
数本の薔薇が咲いているんだ
今日久しぶりにこの場所に立ち寄った
かすかな薔薇のにおいの中で
あの飴を舐めて
おばあちゃんにさようならを言った